群馬県にある世界遺産の富岡製糸場。
日本の世界遺産の中でも、なんかパッとしない富岡製糸場ですが(とても失礼ですみません・・)
実際行ってみたらどうなの?実際行った感想を記載します!
結論!1度は行ってみて良いと思います!
その理由を写真と共に解説していきます。
下記の構成で説明していきます。
- なぜ世界遺産に選ばれた?
- 富岡製糸場の雑学
- まとめ
高崎駅から上信電鉄という電車に乗ります。
上信電鉄の高崎駅ホーム写真です。
もったいないことをしてしまったのですが、切符を買う際に、富岡製糸場の入場券及び往復券の切符がありました。富岡製糸場を見る方は絶対お得なのでこの切符をお勧めします。
私はもったいない切符の買い方をしてしまいました・・
上州富岡駅に着くと”お富ちゃん”というキャラクターが歓迎してくれます。(写真撮り忘れてしまいました・・)
富岡製糸場でチケットを買うとパンフレットをもらえます。
いざ、世界遺産の見学です。
1.なぜ世界遺産に選ばれた?
富岡製糸場はどうったことが評価されて世界遺産になったのでしょうか?
(世界遺産登録認定証)
1.絹産業の世界的発展への貢献
富岡製糸場は当時、最大規模の製糸場でした。
当初は西欧の技術を日本で広めるため、建設されましたが、その規模から多くの最先端技術が集まり、品質の高い生糸や最先端技術は後に海外に広まり、世界の絹産業の発展に貢献しました。
(実際の工場の中)
2.保存状態の良い建築物
富岡製糸場は建築物の保存状態がとても良いです。
ただ、私が見に行った際は一部、工事中の箇所もありました。
3.先進的な労働環境
当時としては珍しく、1日8時間勤務、日曜はお休み。
夏休み、年末年始はそれぞれ10日程のお休みがあったそうです。
これは富岡製糸場の責任者であったフランス人の「ポール・ブリュナ」が取り入れた制度です。
今となっては当たり前の土日祝日やGW、夏季休暇、年末年始休暇ですが、当時はとても目新しかったそうです。
また休暇だけでなく、医療、食事、寮費なども工場負担でした。
福利厚生の始まりとも言っていいですね。
4.近代化の象徴
日本の高度経済成長期を支えた「大量生産・大量消費」の概念ですが、この世界最大規模の富岡製糸場から影響を受けたという声もあるそうです。
こういった近代化を取り入れた象徴ともなる工場なのです。
5.伝統的建築様式
柱と梁は日本の伝統的な建築様式です。
それにレンガを合わせた、西洋と日本の建築を合わせた建築物ということも評価されたようです。
(実際の建物)よく見ると明治5年と書いてありますね・・!
2.富岡製糸場の雑学
富岡製糸場では、ガイドさんが30分程で富岡製糸場を説明してくれるオプションがあります。
ネットでは載っていないことも説明してくれて200円/人程なのでオススメします!
日本でなぜ生糸?
シルクロードといわれるだけあり、ヨーロッパや中国が絹産業のメインだと思われがちですが、当時、養蚕の伝染病がヨーロッパと中国で起きており、生産が減少しておりました。
理由はアヘンでしたが、当時の医学では原因がわかりませんでした。
そういった海外で絹を作れないとき、絹が生産できる日本に注目が集まりました。
富岡製糸場ができるまで
ただ、悪徳な業者は注文が多く入るため、悪質な絹を多く生産してしまいました。
これをよからぬ状況だと判断し、日本で模範工場を作ろうしてできたのが”富岡製糸場”です。
富岡製糸場は生糸の生産量よりも、最新の技術を学び、工女をふるさとに返し、その技術を伝達することを最大の目的としておりました。
なので”ベテラン”のようなスペシャリストはおらず、新人が多かったといいます。
なぜか応募が来ない・・・
福利厚生もとってもよく最新の技術が学べる富岡製糸場でしたが、当時工女の募集に全然人が集まりせんでした。
実はこんなデマが流れていました。
「富岡製糸場で働くとフランス人に生き血を吸って飲まれる」
まるで吸血鬼みたいですね・・笑
責任者の「ポールブリュナ」はフランス人でワインを好んで飲んでいました。
当時、ワインを飲んでいるフランス人の姿を見て誰かがワイン⇒血と吹聴したのですね。笑
困った政府はこれが”デマである”ことを広め、工場の幹部娘を働かせるなどをして募集を増やしていきました。
3.まとめ
以上、富岡製糸場についてまとめてみました。
(全体マップ写真と全体写真)
他の世界遺産に比べると、あまりインパクトがあるような場所ではないですが、当時の世界背景から、富岡製糸場が世界に貢献したことがわかります。
また化学繊維の台頭で工場を中止せざるを得なかった富岡製糸場ですが、色々な背景から、このまま建物は残り続けることでしょう。
近くのめんたいパークやこんにゃくパークとセットで是非行ってみてはいかがでしょうか?
以上、富岡製糸場についてでした!