以前、聖母マリアの記事について書きました。
今回は、誰でも知っている「イエスキリスト」の生涯について簡単にまとめてみたいと思います。
まず、イエスキリストは神の子として、聖母マリアから生まれます。
ヘロデ王の暗殺計画
イエスの生誕は当時のユダヤ王国に大きな影響を及ぼします。
当時の王であるヘロデ王はその脅威からイエスの暗殺を計画します。
これは天使のお告げによりエジプトに逃亡したことから難を逃れますが、当時の王の耳に入り、暗殺を企てられるというのは、大きな影響があったことがわかりますね。
ヘロデ王の死を待ち、マリアとヨゼフはイエスを連れてイスラエルに帰ります。
キリスト12歳
マリアとヨゼフはユダヤ教徒だったため、毎年エルサレムで行われるお祭りにイエスを連れて行っていました。
ある時、エルサレムから帰路についている中、イエスがいないことに気づき、マリアとヨゼフは再びエルサレムに戻ることになります。
そこで目にした光景は、イエスがエルサレムの神殿でユダヤ教の聖職者と語り合っている姿でした。
この姿にマリアとヨゼフのみならずユダヤ教の聖職者も驚きます。
マリアとヨゼフはイエスに親として”心配していた”ことを伝えますが、イエスからは予想外の返答が返ってきました。
「どうしてわたしを探されたのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当然であることを、ご存じなかったのですか。」
マリアとヨゼフは何のことを言っているかわからなかったのですが、当時からイエスは自分の父として神がいることをわかっていたのですね。
イエスの宣教
イエスは30歳から教えを多くの方に広めるために活動しておりました。
その中でまず使途と呼ばれる12人の弟子と寝食を共にして、教えを伝えておりました。
イエスの代表的な教えである「自分の敵を愛し、迫害するもののために祈りなさい」や「右の頬を打つものには左の頬も向けなさい」などはこういった宣教の代表的な言葉です。
当時律法に縛られていた人たちが、神を信じてその恵を受け取ることができるという考え方に変わっていったのです。
イエスは、人々の病気を癒したり、死人を蘇(よみがえ)らせたり、5つのパンと2匹の魚を5千人の群衆に分け与えるというような奇跡も起こします。
これは自らの力を誇示するためではなく、自らがメシア(救世主)であることを明らかにするためのものでした。
イエスのことが広く知られると、イエスの元に多くの人が集まってくるようになりました。
しかし、それをよく思わない律法を重視する学者などはイエスを「律法を破るもの」として訴えようと画策します。
ただイエスはそれでも、妥協せず宣教を進め約3年半(30歳~33歳)の公生涯を過ごしました。
最後の晩餐
有名な「最後の晩餐」という絵はまさにイエスの最後の晩餐の模様を描いています。
イエスは自らが12人の弟子の内の一人であるユダに裏切られることを知っていて最後の晩餐をしておりました。
ユダは律法を重視する学者たちから銀貨をもらい、それと引き換えにイエスを売ります。
イエスは武器を持った兵士たちに連れ去られますが、他の弟子たちは怖くて逃げてしまいます。
十字架刑
イエスの刑罰を決めるピラトはイエスは法律に触れるようなことを何もしていないことを知っていました。
ただ、律法を重視する学者や議会の人間はイエスを殺すように強く願いました。
ピラトは騒ぎが大きくなることを恐れ、死刑を認めてしまいます。
当時、十字架刑は最も重い罪でしたが、無罪のイエスが最も重い十字架刑を受けることになるのでした。
イエスは自らの処刑場まで鞭に打たれながら100kg近くある十字架を背負わされたのでした。
そして十字架に貼りつけられ死を迎えるのでした。
ただイエスはこの事も知っており、十字架に磔にされ死ぬことこそがイエスがこの世に来た最大の目的でした。
人間の犯した全ての罪を、イエスが十字架に磔られ死ぬことで救われるという道を神が用意してくれたのでした。
復活
イエスが処刑されてから3日後にイエスの遺体に香料を塗るために、イエスに仕えていた女性たちが測を訪れると、なんとイエスの遺体が消えていたのです。
女性たちはイエスの遺体が誰かにもっていかれたのかと悲しみますが、そこに天使たちが現れイエスが復活したことを告げました。
イエス本人も現れ弟子たちと40日間を過ごし、神へと召されていきました。
以上、イエスキリストの生涯でした。
イエスは自らの命をもって、人類の罪を償ってくださったのですね。
それにしても33歳という短い生涯で2,000年近く語り継がれているのは本当にすごいですね。。。